ごあいさつ

この本に収めた写真は、主に2007年から2008年の夏と秋に
銚子に通って、集中して撮ったものです。
ただし以前に撮影したものも多少含まれていて、
中には既に取り壊された建物もあります。
今やその姿は写真の中にしか存在しないわけですが、
今も健在な被写体ですら、まとめてみると何だか異界めいていて
不思議な雰囲気。それでタイトルは『銚子まぼろし』としてみました。

古くからの友人・袖山さんが住むこの街には、幾度となく訪れて来ました。
彼女から「銚子の古い橋を中心にした写真集を出したい」と
撮影を依頼されたのは、三年ほど前のこと。
写真のテクニックなど学んだことはありませんが、自分なりのフレームで
風景を捉えることはライフワークのように続けてきました。
もっとも私は一眼レフもデジタルカメラも持ってはいません。
撮影はかなり前に購入したごく普通のアナログカメラ
(リコーのRZ-800)によるものです。

古びた建造物に植物が絡んだりしていると、否応なしに引き寄せられます。
どうして滅びゆくものはこんなにうつくしいのだろうと長らく思っていましたが、
建築学科卒の詩人・立原道造が、ドイツの哲学者Georg Simmel
(ゲオルグ・ジムメル)の言葉を引用している文章を数年前に読んで、
分かったような気がしました。
「生母としての自然へ、人間労作のつくりあげた形のふたたび帰り行く」
「まさに崩れかける瞬間」が廃墟の美なのだという記述。
人工物が自然に融合する安らぎということなのでしょうか。

建造物は生き物ですから、やはり植物と同じように
元の地べたに生えているのが一番。
移設して保護区に囲われているものは、息の根を止められた標本にほかなりません。
改めて見つめ直した銚子は、まさに心揺さぶられる生きた被写体の宝庫でした。
大小さまざまの古い橋の何とも言えぬ味わい。
トタンや木造の建物の、落剥し色変わりしたさま。風化した石垣。
あちこちに残る消防団の古い倉庫。銚子電鉄の小さなレール。
どれもがこちらに語りかけてくるような風景です。
 
 思えば出会いはどれも皆一期一会。台風で電車が途中駅で運転を止め、
苦労しながら辿り着いた日の写真は、びっしょり濡れたあとの石や草の色、
霧を透かした光、打ち寄せる波の荒々しさなど、
まさにこの日でしか撮り得なかったものでした。

どこまでも色変わりしたトタンが続く道で、
水色の油絵具を塗りたくったような色合いの外壁に絡んだ蔦が、
真っ赤に色づいていた晩秋。

真っ青な空がすこーんと抜けて、影が足元で消えてゆくような強い陽射しの夏の日。
写真にはその日の空気がそのまま流れています。
その空気を味わっていただけたら幸いです。

                            東 史(ひがしふみ)

撮影記録
HOME Introduction News&PhotoBook PhotoGallery Contact ひがし・ふみ
inserted by FC2 system